下中座の歴史と特徴
相模人形芝居下中座は、江戸時代中期から小田原市小竹地区に伝わる三人遣いの人形座です。昭和55年に国指定重要 無形民俗文化財の指定を受けています(県指定は昭和28年12月)。昭和37年には神奈川県から神奈川文化賞を受賞し、平成30年には他の相模人形芝居4座とともに相模人形芝居連合会として、一般財団法人地域伝統芸能活用センター から地域伝統芸能大賞地域振興賞を受賞しました。座員は約30名で、全員無償で、年数回程度の公演を行っています。また、近隣の学校と連携して次世代の育成と伝統文化の普及に努めています。
昭和中期までの座員は、小竹地区や近郷在住の農民を中心に構成されていました。
しかし、下中座は昭和末年頃に極端な座員の減少を経験し、存続の危機を迎えてしまいました。
その反省から座員になる要件を大幅に緩和した結果、現在では農業従事者以外にも、会社員、公務員、主婦、学生など座員の職業階層は多様化し、年齢層も80代から10代までと幅広くなり、座員の出身地・在住地も小竹地区近郊を中心に広域化しています。
下中座には、写真記録等にのみ従事する座員など、人形を遣わない座員も存在します。活動記録の保存や備品の整備など人形を遣うこと以外にも、座の運営においては大切な業務が数多くあり、サブスタッフの充実は座の活動にとってとても大切であるとしています。
演目紹介
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伽羅先代萩 正岡忠義の段
本作中最大の山場であり、『伽羅先代萩』といえばこの場について語られることが多い。我が子を犠牲にしてまで主君を守るという筋書きは、現代的な感覚からは考えられないようなことだが、朱子学が幅を利かせた江戸時代に発達した歌舞伎や人形浄瑠璃の世界では常套の展開。
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御所桜堀川夜討 弁慶上使の段
平家滅亡の立役者であった源義経。しかし義経は兄の頼朝から謀反の疑 いが掛けられている。それは義経の正妻・卿の君(きょうのきみ)が平家一門、平時忠(ときただ)の娘だったからだ。「頼朝への忠誠を示すなら卿の君の首を差し出せ!」と鎌倉からは度重なる催促が来ていた。
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菅原伝授手習鑑 寺子屋の段
『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』と並び、義太夫狂言の三大名作のひとつに数えられる作品